100歳まで元気に生きるっチャ

自称若者のバァバが斜めから見たこの世の中。捨てたもんじゃおませんよ。

2020年は明智光秀だ~その光と影 大河ドラマ「麒麟がくる」

 

明智光秀の大まかな略歴

 

美濃(岐阜県)の浪人の家に生まれた。

美濃の守護代・斎藤道三に見いだされ、家臣となる。

その後、細川幽斎の家臣になる。

最後は織田信長の側近に取り立てられて活躍。

55歳で没。

 

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したたかな合理的考えの持ち主であった

 

野心丸出しで、目的達成のためにはいろんな手段を駆使した。

たとえば、

・出自をかなり高めに自称していた。

・細川家の家来となりたいがために、

「荷物運びだの雑役でいいから置いてください」などと懇願した。

・細川家の家来となったのち、主君から織田信長への使者に

 任ぜられたとき、「これはチャンスだ」とばかりに

 「以前から信長公に方向したかった」とアピールして

 とうとう信長に仕えることになった。

 そして、それっきり主君の細川幽斎のもとへは帰らなかった。

 

文武両道の教養人であった

 

・建築についての造詣が深かった

・貴族のたしなみであった和歌の道に精通していた

・鉄砲撃ちの名人で、百発百中であった

・危機管理にも熱心で、河川の氾濫防止のための治水工事に努力した

・人情に厚く、戦で亡くなった家族への配慮を欠かさなかった

 

光秀の家紋

 

「桔梗紋」を使った。

これは代々、美濃を治めていた由緒ある「土岐氏」と、

それにつながりがある一族が使用していたものである。

 

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妻・熙子(ひろこ)を愛した光秀

 

熙子は美しい女性であったが、婚姻前に天然痘にかかって

顔に疵が残った。

が、光秀は頓着せずに熙子を妻に迎え、愛した。

そして生涯、側室ももたなかったと言われているが、

これには異論も残っている。

が、おおむね、夫婦仲はよかったようだ。

 

妻・熙子の献身ぶり

 

熙子は夫に献身的に接した。

逸話として残っているものの一つに、こういうのがある。

光秀が浪人して暮らしが苦しかった時に、

自らの黒髪を売ってそのお金を得、

光秀に肩身の狭い思いをさせることがなかった。

 

 光秀の出世ぶり

将軍・義昭が三好氏に襲撃されたとき、

13人の侍が将軍を守り抜いた。

そのうちの一人が光秀であった。

 

光秀はこの時の功労によって幕府奉公衆となって大出世し、

将軍のもとで仕事を任されるようになった。

 

ここに目を付けた信長は、戦術を練るときなどに道秀に相談し、重用した。

 

こうして光秀は将軍と信長との二股をかけることになるのだが、

長期展望に従って信長を選んだ。

 

信長の野望に苦慮する光秀

信長は中国王朝の明に出兵すると言い出した。

が、明の軍力は圧倒的でとても勝てるものではないことを知っている

光秀は、反対。

 

加えて。四国を支配している長曾我部氏を討つ計画も吐露。

長曾我部氏はみつひでと同盟関係にあるので、

とてもじゃないが従えない。

 

これらの光秀の反論に怒りを覚えた信長は、

老境にある光秀に殴る、蹴るの暴行を加えた。

 

こうして両者の間には秋波が立っていった。

 

天正10年6月2日未明、「本能寺の変」

信長の重臣に抜擢された光秀は、信長の激高で

苦渋をなめさせられることも少なくなかった。

 

この日、京都・本能寺に滞在していた信長は、

光秀の奇襲によってあえなく自害。

 

やがては信長にとってかわる次期天下人となった光秀だが、

秀吉にあっけなく敗れる。

 

信長を討った13日後のことであった。

治世の短かさから「三日天下」と呼ばれた。

 

娘は細川ガラシャ

 

娘・玉は絶世の美人で、信長の勧めで16歳の折りに

細川忠興に嫁いだ。

 

が、父の「本能寺の変」によって人生が大きく変わり、

夫・忠興によって「逆臣の娘」として単語に幽閉される。

そののち、忠興のもとへと帰ったものの、キイスト教に救いを求めて

ガラシャと名乗った。

 

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細川ガラシャ 絵 - Bing images

 

福知山城の石垣に「墓石」が

私事で恐縮だが、夫の両親が福知山市にいたので、

福知山城を2度ほど訪ねたことがある。

 

そこで目をひくのが、城の石垣。

なんと、所々に墓石が使われているのだ。

 

 

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https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E5%9F%8E+%E7%9F%B3%E5%9E%A3


 なぜ、墓石を?

その答えとして幾つかが考えられている。

 

・多量の意思が必要だが、重用に間に合わない

・反対勢力の首長の墓石を使用することで自らの権力を誇示する

・短期間の築城であったため、光秀の政治に反抗的な地元の寺院を

 破壊して集めた

など。

 

私たち夫婦のそばを通りかかった初老の男性がつぶやいていましたね。

「バチがあたったんだろ」って。

 

複雑な思いがしました。

 

 

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